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選定リスト(公表に同意いただいているもの)
(行政区別 五十音順)
所在地 名称 推薦理由(抜粋)
右京区  愛宕神社
 Atago-jinjya Shrine
全国に約900社を数える大宝年間創建の愛宕神社の本社。江戸期の建築と伝わる本殿などの建築物の欄間には,菊や鳳凰など見事な彫刻が施され,この社の価値を高める要素となっている。
稲波家
Inanamike
築200年ほどと思われる茅葺き屋根の民家。町家などと同様に,郊外の歴史的建築物も失われていくスピードが速く感じる。頑張って残していきたい。
井上・曽家
Inoue・Zengke
230年以上の歴史をもつと伝わる古民家。囲炉裏やおくどさんも残り,来客のたびに利用している。美しい里山の景色の中で,この茅葺屋根を後世に残したい。
今西家校倉
Imanishike-azekura
京北でも雪の多い地域に建っている穀物倉庫と思われる。校倉は近年利用されなくなっているが,次代には,昔の知恵として伝えておくことが大事である。
 卯瀧家
 Utakike
自然な美しさに魅せられる茅葺き屋根を,母屋と納屋の2棟で維持されている。集落の高台にあって,絵画的な風景を醸し出している。
ウッドラフ家
Woodrafuke
夏涼しく,冬暖かく,湿気もとってくれるたたきで土間が作られており,おくどさんともマッチしている。自然素材で作られたものは人にも環境にも優しい。
小倉山居
Ogurasankyo
平屋造りで,主座敷を中心に茶室を伴い,洋風応接室を付設した伝統的和風築に現代的な洋風建築を取り入れた新趣な思想で建築。
 河原林家
 Kawarabayashike
築後500~600年。京北山国地域の民家で北山型と言われる。千木が九つ屋根の天辺に載る大屋根である。囲炉裏やおくどさんは現役で利用されている。
木下家
Kinoshitake
1600年代後半の建築と思われる茅葺屋根の建物である。室内には「ちょんながけ」とみられる柱が残る。紅殻を使った腰戸や戸などが美しい。
旧宇津郵便局
Kyu Utsu Post Office
戦前に建てられた京北地域の洋風建築として貴重である。
 旧邸御室
 Kyutei Omuro
昭和12年(1937)に建てられた邸宅。質の高い和風住宅である主屋に加え,双ケ岡の斜面を利用したひろびろとした庭園には,茶室や待合が建てられている。茶室の付書院のような窓からは御室の山を眺望することができる。
旧鳴滝寮
Kyu Narutakiryo
書院造の和館,数寄屋意匠の離れ,スパニッシュ風外観の洋館と広い庭園を有する邸宅。昭和初期における大規模で良質な建築として重要である。
高乗家
Kojyoke
明治初期に建てられた茅葺き屋根の民家。室内は改装したが茅葺きは残したい。少しでも素敵なふるさとを維持することが私どもの幸せである。
new 小谷家
Kotanike
築150年と伝わる茅葺き屋根の主屋,乾蔵,辰巳蔵のある元庄屋の民家。内部にはおくどさんがあり,玄関脇にはウマが同居していた。庭には,枝垂れ桜が植えられており,道行く人の目を楽しませてくれている。
小山家
Koyamake
江戸時代から続く薪炭商を営まれていた建物である。不運にも安政期に火災により土蔵以外が焼失したが安政3年(1856)に再建。当時の薪炭倉庫や車折神社の近くから曳家した離れとともに薪炭商当時の状況が伺える炭俵や帳面などの品々が残されている。
椹木家
Sawaragike
椹木家の本家。明治の建築。梁や大黒柱が太く,部屋の空間がダイナミック。ベンガラ塗りの格子が印象深い。茶室,庭,蔵など雰囲気がある。
椹木家
Sawaragike
椹木家の分家。昭和元年(1926)以前には建つ。大きな梁が特徴的。部屋から広がる庭の眺めは自然と一体となった暮らしを感じさせる。
 柴田家
 Shibatake
大正時代に京都のまちなかから大工を呼び寄せて施工された美しい住宅である。
庄野家
Shonoke
入母屋造平入の茅葺(茅葺の上にトタン葺)の農家住宅。時代とともに改修が施されているものの,往時の景観を伝える建物である。また,欄間彫刻が意匠を凝らしており素晴らしい。
慈眼堂
Jigen-do Temple
愛宕道に建つ御堂。堂内に藤原定家の念持仏と伝わる千手観音立像が安置されている。現在は中院町の町会所としても使われており,嵯峨野の歴史・文化を伝える貴重な建物である。
月輪寺
Tukinowadera-Temple
愛宕山の東方深い山中に位置している天応元年開創と伝わる山岳寺院。標高570mに位置し,眼下に京都市街を一望できる境内には,本堂,祖師堂,権現堂,宝物殿等が配されている。
 天使の里 霞中庵
 Tenshinosato Kachuan
近代日本画家の第一人者,竹内栖鳳(1864~1942)が自らの画室とするために設計監修し,美しい庭と贅をこらした見事な数寄屋造り「霞中庵」を完成させた。
伝心庵
Denshin-an
明治に建てられた私邸で庭園を持つ。仁和寺の近くに建ち,現在は旅館として活用されている。
徳平庵
Tokuheian
茅葺き屋根をトタンで覆うか迷っているが,京北から茅葺き屋根が無くなると,京北がさびれてしまうように思えてならない
中川家
Nakagawake
座敷と納戸の間の建具が珍しい。土蔵の入口には「こて絵」がある。今も現役で使用している井戸は大切にされている。
中川家
Nakagawake
街道筋に瀟洒な長屋門を構える。門を入ると大きな石組が置かれた庭園と玄関が目に入る。母屋の縁からは,清滝川と西明寺が浮かび,都名所図会等に描かれた景色を見るようである。
花のいえ 關鳩楼
Hananoie Kankyuro
角倉了以の舟番所址に建つ旅館。離れ座敷の「關鳩楼」は江戸時代初期のものと伝わり,枯山水の庭園は小堀遠州の作と伝わる。
初田家
Hatsutake
おくどさんが立派で,冠のある透かし彫りは「猪の目」と呼ばれ目を見張る。
林家
Hayashike
床,天井,軸組みに目の通った太い良材を使用する重厚で風格ある作りとなっている。たたきの土間,七つ竈,屋敷構えの土蔵等保存状態も良好。
平井家
Hiraike
棚田が美しい越畑に建つ茅葺き屋根の民家で,明治初期に建てられたと伝わる。標高約400メートルの高地である越畑では,近年,村おこしに力を入れている。
new 平井家
Hiraike
長屋門がある民家。門の柱に打ち付けてある祈祷札に「寛政十三年」とあることから江戸時代の建物の可能性がある。棚田をはじめ自然のある風景を残すためにも,この建物を大切に残してほしい。
平野屋
Hiranoya
古くより愛宕神社の門前町として賑わい,街道沿いに茶店等が建ち並ぶ嵯峨鳥居本の町並みの中にあって,400年の歴史があり中核をなす茶屋である。外観,内部とも江戸時代にタイムリスリップしたような野趣あふれる茶屋の面影を残している。
藤野家
Fujinoke
明治維新の際,維新勤皇隊山国隊を取りまとめた,藤野斎の生家。神社神職として仕えてきた旧家。立派な長屋門が残る。
new 本多家
Hondake
夕焼けと棚田がとてもきれいな集落にある茅葺き屋根の民家。染色工房兼住まいとして活用しながら,懐かしくほっとする茅葺き屋根の風景を残したい。
 山﨑家(旧井上家)
 Yamasakike(Kyu-Inoueke)
築400年と伝わり,自然豊かな北嵯峨の地に,白壁の築地塀で囲まれた茅葺きの民家。かつて20数歩町の田畑を有した豪農の風格を変わりなく維持している。
西京区 岩崎家
Iwasakike
瓦塀を巡らせた規模の大きな農家住宅である。屋敷構えの全体が道路から一目で見渡せることから散策する人の目を強く惹きつける建物である。
太田家
Otake
約170年前に建てられた典型的な庄屋式屋敷である。木造一階の母屋を中心に,表門脇の客殿や七福神の鬼瓦を置いた米蔵・衣装蔵,屋敷外の小川から取水する池泉鑑賞式の庭園など,都市近郊の農村の典型である景観を後世に伝える。
 大原野神社
 Oharano-jinja Shrine
京都盆地を望む丘陵地にある神社。周辺には里山が広がり神社のバッファーゾーンを形成している。綺麗に整備された竹林もあり,竹穂垣が美しい小道が整備されている。  神社の境内は殿上人が遊んだ昔をしのぶことができる。
 かぐや姫竹御殿
 Kaguyahime-Takegoten
昭和初期,竹職人の名工長野清助が「竹取物語」へ思いを深め,27年の歳月をかけて造った竹尽くしの建築物である。内装には,竹をモザイクタイルのように散りばめた仕上げをはじめ様々な技法による意匠が残る。
 カトリック桂教会
 Catholic-katsura-kyokai church
木工家具デザイナーのジョージ・ナカシマの設計で昭和40年(1965)に完成した。緩やかに曲線を描きながら反り上がる屋根と,それに対峙する十字架が力強く美しい。内部空間は行灯等の日本的要素に加え,アメリカ経由の日本と言うべき雰囲気を持つ。
郷倉
Gokura
平安京遷都後,樫原近郊の十二郷に年貢米等が収蔵される郷倉が建立されたのが起源。樫原は山陰街道きっての物資集積地であり,明治になり郷倉が村に下賜されると,米等の集積場として活用された。他の郷倉はなくなり,現存する貴重なものである。
 五社神社
 Gosya-jinja Shrine
茅葺き屋根と楠の大木が印象的な神社。神事芸能などの風習や,明治以前の神仏習合の様子をよく残している。本殿は文化6年(1809)に建てられ,奥行きに比べ間口が広く,平面形式や構造が独特である。
斉藤家
Saitoke
軒の深い下屋は袖壁があるのみで,柱が無く作業性の良い広い空間を確保している。また,厨子二階の左官は淡い空色で,虫籠窓の格子は左右異なるデザインになっており,縁取りされた青い色が魅力的である。
齋藤家
Saitoke
切妻造平入つし2階建てで,もっこう型の虫籠窓が備わっている。各所改修されているものの立派な本玄関を持ち,地域の農家住宅の歴史や景観を感じさせる。
正法寺
Syohoji
大原野にある真言宗の寺院。天平勝宝年間に創建され,弘仁年間には弘法大使が聖観音を彫刻したと伝わる。応仁の乱による焼失後,元和元年に再興された。本堂には,鎌倉時代初期の千手観音像が残り,また,「石の寺」として東山借景とした「鳥獣の石庭」が残る。
 浄住寺
 Jojuji-Temple
元禄10年(1697)創建の本堂とその後方に位牌堂,開山堂,寿塔が並ぶ。一連の建物は,京都市内には数少ない黄檗宗を代表するもので,特に開山堂と寿塔は黄檗宗寺院の特色をよく残している。
 中村家
 Nakamurake
桂大橋を街道沿いに西へ向かうと,新しい家が並ぶ路地の向うに白く輝く漆喰壁の土蔵が見える。裏の通りからは煙出し,虫籠窓といった伝統的な意匠が認められ,手入れされた庭や座敷の様子から,生活の表情を感じることができる。
 玉村家
 Tamamurake
奥には6帖の上段の間があり,欄間・床・違棚のある書院造りの建物で,山陰街道樫原宿場町の陣屋であった豪華なたたずまいが感じられる。街道の両側に虫籠窓を持つ町家が続く町並みの中心となる,住民にとって誇りに思う建物である。
谷岡家(レストラン スポンタネ)
Taniokake(Restaurant Spontane)
明治に建てられた住宅で,屋久杉などが使われている。昔の間取りのままレストラン兼住宅として使っており,このまま維持継承して後世に伝えたい。
 中村軒
 Nakamuraken
創業明治16年(1883)の老舗饅頭屋である。約30年前に住居部分を茶店にする等,時代の変化に準じて建物に手を加えられているが,むくりのついた大屋根に煙出し,虫籠窓等が残っており,店先の雰囲気から当時の往来客の様子を想像させられる。。
永谷家
Nagatanike
集落に向かう道すがら現れる茅葺きの屋根。庭先から広がる畑と相まって,かつての農村の姿を今に伝えている。
東川島自主防災部器具庫
Higashikawashimajishubosaibukiguko
本願寺西山別院の境内に建つ妻入り桟瓦葺きの平屋の木造建築物で,地域の防災意識の歴史を感じさせる建物である。向かい合って建つ数軒の古い木造の民家と一体となって町並みを形成している。
 山口家(苔香居)
 Yamaguchike(taikokyo)
京都西山の自然や四季と調和しながら佇む旧家である。端正な風格のある長屋門が,東海道自然歩道を散策する人,道行く人を魅了している。
龍淵寺
Ryuenji
戦国時代の天正10年(1582)開山で,明智光秀公からいただいた土地で今も継承している。動乱の世に建立されて以来,今なお樫原の人々に「心のよりどころ」として存続しており,仏事があると檀家が先祖供養,平穏無事を感謝するため参拝される。
禄々荘
Rokuroku-so
大原野神社の社家を鉄筋コンクリート造の建物の上に移築した。茅葺き屋根が特徴である。
伏見区  新居家
 Araike
花崗岩をくずれに積み一段高い敷地に,洋館2階建てと和風2階建邸宅が建つ。庭園には枯池があり,数寄屋造の離れが迫り出して建てられている。
飯田家土塀と門
Iidake-dobei,mon
飯田家は,醍醐寺の寺侍を勤めた家柄である。主屋は数年前に建て替えられたものの,江戸期のものと思われる土塀と門は現存し,醍醐寺周辺の景観を形成している。
生田家
Ikutake
昭和11年(1936)に,住宅 兼 寮として建てられ,現在は,自宅 兼 宿泊施設として使用している。川沿いの良好な景観を創出している。
 伊東家
 Itoke
伏見街道沿いの間口約8間の規模を持つ町家。厨子2階にも関わらず高さを感じさせる外観,年月を経て重みを増した木質感に圧倒される。
井上治療院
Inoue-chiryoin Clinic
昭和初期に建てられた元薬局の店舗兼用住宅。外観は洋風建築で,三連のアーチが特徴的な洗練された意匠となっている。
魚三楼
Uosaburou
江戸時代に創業した京料理の老舗。出格子に残る銃弾の痕は鳥羽伏見の戦いのものと伝わる。伏見界隈の歴史を伝える貴重な建物である。
浮田家
Ukitake
明治中期に建築された建屋及び納屋から構成される。建屋が面する通りは,明治元年の付け替え工事まで木津川の堤防であり,建屋背面の高基礎がそのことを示す。建屋の表と裏の表情の違いは興味深く,水運で栄えた美豆の繁栄を偲ばせる。
大岩神社
Oiwa-jinja Shrine
岩を御神体とする神社。数多くの塚や石灯籠が立ち並ぶ。大鳥居と小鳥居は,この神社と縁が深い堂本印象による寄進で,自らデザインした人物,動物,文様などが施された独特の意匠である。
太田家
Otake
旧島本銀行と伝わるこの建物は,玄関に半円を描く石の階段や銅板に覆われた柱,さながら蔵のような窓枠が備わるなど当時の銀行の面影を伝えている。
 岡本家
 Okamotoke
元医院と伝わる建物で,壁の仕上げやハーフティンバー風の意匠は,全体的にドイツ民家風となっている。応接室や元診療室と思われる部屋が残され医院建築の面影を今に伝えている。
奥川家
Okukawake
土塀に囲まれて,土蔵や庭があり,立派な門がある豪農ともいうべき農家造りの建物。現在は,土蔵と門が残っており,道行く人の心を和ませてくれる。
尾﨑家
Ozakike
大津街道沿いに建つ築90年,木造つし二階建て,切妻平入の農家住宅。田の字型の間取りと大きな梁が特徴的で,虫籠窓,煙出し屋根などが残され,当時の名残をとどめる地域の貴重な財産となっている。
new 小篠家
Ozasake
昭和初期には青果商を営んでいた町家で,明治期の建築と思われる。入口土間の大和天井,ミセノマにあがる部分の沓脱石,トオリニワにはタイル張りのおくどさんや井戸などが残っており,座敷から見える庭には手水鉢や石灯篭,袖垣が配されている。
 荷田春満旧宅
 Kadano Azumamaro-kyutaku
国学者荷田春満(かだのあずままろ)の邸宅。住居として使われていた邸宅は平屋造で,書院や門などが残っている。
カトリック伏見教会
Catholic-fushimi-kyokai Church
教会の敷地内には教会堂,司祭館,便所棟があり,教会堂と司祭館の間にある庭園は瀟洒に整備され,全体のコンパクトな構成は見る者に心の安らぎをもたらす。
 京都教育大学
 まなびの森ミュージアム
 【旧陸軍第十九旅団司令部】
 Kyoto University of Education’s
 Manabinomori Museum
 [Kyurikugun daijukyuryodanshireibu]
明治30年(1897)陸軍施設として建設。第19旅団司令部がおかれていた。近年,創建当時の姿に復元し,「まなびの森ミュージアム」として一般公開している。
  金札宮
 Kinsatsugu Shrine
伏見区最古とも伝わる神社。天太玉命(あめのふとだまのみこと),天照大神(あまてらすおおみかみ),倉稲魂神(うがのみたまのみこと)が祀られている。  現在の社殿は嘉永元年(1848)に建てられた。
 小西家
 Konishike
木造中2階建ての主屋,離れ,道具蔵,米蔵からなり,母屋は座敷の趣きのある意匠材料や,土間と中2階の見応えのある梁組など質の高い建築物。
小西家
Konishike
現当主で20代目となる農家。清水谷家(しみずだにけ)に仕えた頃,御所への往復に使われた駕籠が残る。虫籠窓,煙出し,床の間,庭の風情など次の時代に残したい。
米市本家
Komeichihonke
古くは酒造りを営んでおり,その後米穀商の店舗として使った建物。現在は営業していないが,当時の看板などもそのまま掛けてある。
しも村
Shimomura
門前の旧街道に面して建つ,昭和初期建築の手打ち蕎麦屋である。建物の2階には,建具に沿って欄干が回り,当時の様子を現在に伝える。
駿河屋伏見稲荷支店
Surugaya-fushimiinari-shiten
創業約80年の和菓子店である。昭和6年(1931)ごろの建築で,建物の外観や店の様子も建築当初から現在までほとんど変わらず,現在も薪を使って銅鍋で餡子や羊羹を炊くなど昔ながらの製法が守られている。
瑞光寺
Zuikoji Temple
境内入口にある萱葺きの山門を潜ると本堂の萱葺き屋根が目に入る。その屋根のシルエットは,この寺を再興した元政上人の衣姿を彷彿させる。
 聖母女学院本館
 Seibojogakuin-honkan
明治41年(1908)に旧帝国陸軍16師団本部として建築。内外部とも建築当初のままに残っており,外観や内部デザインなどは見る者を魅了する。
清和荘
Seiwaso
昭和32年(1957)創業の三代続く料亭旅館で,昭和初期の風情が継承されている数寄屋造の建物と日本庭園が融合された広い敷地を持つ。墨染通りに面する大門をくぐると庭木のお出迎え,通りの騒音から隔離された別世界が広がる。
 宝湯
 Takarayu
昭和6年(1931)に竣工。木造モルタル造で,洋風建築という特異性を持ち,外観,脱衣場がほぼ建築時の姿を保っている貴重な建築物。
 津田家
 Tsudake
伏見南浜に建つ町家。津田家は両替商と炭屋を営み,伏見界わいの商いと生活を支えた。奥行きの深いトオリニワや広大な庭から当時の繁栄ぶりがうかがえる。
 長尾天満宮
 Nagao-Tenmangusha Shrine
平安時代に創建された醍醐寺の北東山麓にある神社である。社殿は,文政4年(1821)に再建されたと伝わっている。深い緑の木々に囲まれた,まっすぐに延びる参道が印象的な美しい神社である。
new 滑川家(旧橋本家)
Namekawake(Kyu Hashimotoke)
昭和12年(1937)頃に建てられた前庭,主庭のある2階建て入母屋造りの住宅。1,2階とも主庭に面して座敷を設ける。中廊下を軸として,東側に玄関及び水廻り等,西側に座敷を含めた続き間が並ぶ。
 西之大坊 大雲寺
 Nishinodaibo Daiunji Temple
天正18年(1590)深草山寶塔寺の仮本堂として建立。近年,中原正治氏により庭園を改造。茶室から見る庭園は幽玄の世界を満喫できる。
にしむら亭
Nishimuratei
伏見稲荷大社山茶屋。二階建ての寄棟造りの建物と,西側にある木造平屋がある。特に平屋からの西方向への眺望は素晴らしい。
 日本聖公会 桃山基督教会
 Nipponseikokai
 Momoyama-christ-kyokai Church
昭和11年(1936)に建てられ,隣接する御香宮神社との調和が見事。平日は幼稚園児の歓声,日曜日には礼拝堂で聖歌の声が聞こえてくる。
 長谷川家
 Hasegawake
築約130年の農家住宅である。約400坪の敷地には,主屋,表蔵,たつみ蔵などが建つ。主屋の屋根が特徴的で重厚な重ね妻となっている。
旧浜田家
Kyu Hamadake
明治期に建てられたと伝わる住宅。地下は当時としては珍しい鉄筋コンクリート造で,濠(ごう)川(かわ)に浮かぶ舟から地下室へ直接,出入りできる。
平宗酒店
Hiraso-saketen
創業明治34年(1901)の酒店である。建物は大正15年(1926)の建築で,出入口の木引戸や虫籠窓が残る外観をはじめ当時のままの状態を維持しており,京都伏見の酒の蔵元が多く軒を連ねる伏見南浜界隈の景観を形成している。
 藤田家
 Fujitake
旧街道沿いにある旧家で,明治初期に建てられた。港の近くであるため,かつては旧街道沿いには,旅籠,飲み屋,ばくち場が点在していた。主屋は街道から後退した位置に建ち,玄関前で米を牛車に積み替え,京に運んだ。
布施家
Fuseke
外観は段蔵が特徴で,台所には大きな「おくどさん」が残る。昔ながらの家や道具を大切に残して住んでおり,家だけでなく暮らしぶりも京都の財産として多くの人に知ってもらいたい。
前田家納屋
Maedake-naya
昔は水害が多かったため,船が家に備え付けられている。現代では失われた生活の痕跡や知恵が残っており,羽束師地域の歴史,文化的な生活や地域性を象徴している。
 増田德兵衞商店
 Masudatokubeshoten
延宝3年(1675)創業で,伏見の酒造会社の中でも古い歴史があり,建物も趣がある。鳥羽の作り道に面し,かつては京から西国へ向かう公家の中宿も務めたと伝わる。酒蔵も古いたたずまいが少なくなってきている中,来る人を引き付ける魅力や雰囲気がある。
 松井家
 Matsuike
洋風と和風の意匠を持った2階建ての建物で,スクラッチタイル調の外壁や木製建具が当時のまま残されている。玄関入口にかかる木札には,電話番号と思われる漢数字が記されており,当時の面影を残している。
 松本酒造
 Matsumoto Shuzo
寛政3年(1791)に「澤屋」として創業した酒造会社。大正12年(1923)に名水を求めて現在地に酒造場を増設した。新高瀬川越しに見える酒蔵や煉瓦煙突は地域の代表的な景観である。
南家
Minamike
明治に建築の伝統的な礎石立ちの住宅で,玄関の構えや軒が素敵である。門をくぐると目に入る植え込みは迫力がある。居間から縁側越しに見下ろす庭も,視線の高さと木々の配置が巧みに操作されている。
南里公民館
Minamisato Public hall
昭和25年(1950),大工や左官などが多く住む職人町に建築された木造の公民館である。切妻造木造平屋建てに入母屋の玄関が突出している。町内で今でも大切に使われている。
妙教寺
Myokyoji Temple
淀古城跡地に建てられた。本堂には鳥羽・伏見の戦いの際に砲弾が貫通した跡とその実砲弾が残る。四季折々の花も植えられている。
桃山いろは舘
Momoyama-irohakan
大正2年(1913)創業の旅館。多くの参拝客や修学旅行生を受け入れた点で,京都における近代遺産として歴史的・文化的価値があると考える。
 桃山温泉月見館
 Momoyama Onsen Tsukimikan
昭和の初めに建てられた木造3階建ての旅館。南面に大きな窓を設けており,観月の名所として名高い宇治川を眺めることができる。
 山田家
 Yamadake
醍醐寺南門の向かいにあって,土塀に薬医門を構え,主屋の玄関に入母屋の式台玄関を設ける。庭も比較的良好な状態が保たれておられ,醍醐寺の周辺に点在する,地域の歴史を感じることの出来る重要な建物の1つである。
山田家
Yamadake
主屋は,木造つし2階建て桟瓦葺きに煙り出しを突き出している明治後期頃の建築。農家らしく広い土間を持ち,部屋は2列に6室あるなど,日本に多く見られる平面形式の一つと言われている。
 山本家
 Yamamotoke
鳥羽伏見の戦いで焼亡した後,明治29年(1896)に再建。商売の便のため表屋に接続して店蔵を構え,蔵前から奥を母屋とする変わった設計になっている。
ランプ小屋
Rampugoya
明治13年(1880)から大正10年(1921)まで走っていた旧東海道本線のランプ小屋として使用。石油など危険物を扱う建物であったため,堅牢な煉瓦で造られている。
  
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