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京都の財産として残したい建物や庭園“京都を彩る建物や庭園”の発表について
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北区 上京区 左京区 中京区 東山区 山科区 下京区 南区 右京区 西京区 伏見区
選定リスト(公表に同意いただいているもの)
(行政区別 五十音順)
所在地 名称 推薦理由(抜粋)
東山区 青山家
Aoyamake
元々精米業を営む。母屋と連続した作業所には水車と疎水から水を引き込んだ形跡がある。白川沿いの板塀の外観は写真撮影の場となっている。
あじき路地
Ajiki-roji
長年空き家だった明治末期の長屋を入居者も手を入れて大改装され,みなが家族のように暮らす若者の創作活動の職住一体の場として再生された。おだやかで凛とした空気が流れ,昔ながらのスタイルを保ち続けている。
市村家
Ichimurake
明治初期の建築で,2階の格子や踊りの舞台だった板間空間など,御茶屋建築の意匠を伝える四条通に残る数少ない京町家である。近年,1階外観についても,伝統的な意匠に復原された。
いづう
Izuu
創業天明元年(1781)から現在の地で営業。露地,茶室庭は,多少の変化があるものの,基本的な姿は,創業当時そのまま。
今村家
Imamurake
鴨川を挟む五条通から九条通までの大仏柳原庄の庄屋として450年続く旧家である。建物は,近世中期の町家の遺構として形式を保っており,その来歴・変遷が今村家文書に詳細に残されている。
いもぼう平野家本家
Imobo Hiranoya-honke
殿庭園及
八坂神社のすぐ近くの東北に位置。数寄屋風の日本建築で,敷地内から屋根を突き抜ける「椋(樹齢約200年)」の大木の大きな枝が建家全体を覆っている。
いもぼう平野家本店
Imobo Hiranoya-honten
江戸時代から代々暖簾を受け継ぐ料理店。外回りは黒文字垣,二階は虫籠窓,壁は聚楽となっており,昔ながらの雰囲気を多くの方が好まれている。
ウェスティン都ホテル京都
葵び佳水園庭園
The Westin Miyako Kyoto-aoidenteien,kasuienteien
七代目小川治兵衛に築かれた葵殿庭園は,ダイナミックな雲井の滝,流れ蹲,沢飛び石などが特徴的で,長男白楊作の佳水園は,山水が岩肌を這うように流れ,繊細かつ躍動感のある庭となっている。
URAGNO(旧森商店)
URAGNO(kyumorishoten)
築90年を超える建物は,日本最初の路面電車を京都で走らせた京都電燈株式会社の大佛変電所の一部として建てられたものだと言われ,和洋折衷の意匠が独特な空間を醸し出している。
オダ薬局
Oda-yakkyoku
寛政8年(1796)開業の薬局。建物は典型的な町家形式を残し,奥の光天井がある吹き抜けは,光と影がつくりだす幻想的な空間を作っている。
小野家
Onoke
建物は,明治20〜30年代頃のもので,特に目を引くのは床脇の天袋で,曲線を活かした独創的な意匠。庭には織部灯籠が置かれ,水琴窟が埋められている。
祇園まちなか案内所
Gion Machinaka Annaisho
築百年の町家を改修され,まちづくりや地域活動,情報発信の拠点として活用されている。長い路地が印象的で祇園らしく女性的な造りの家屋である。また,通風採光の妙を心得た造りとなっている。
小町家
Komachiya
京漬物屋兼住居だった築100年の町家を改修した貸し町家。土間,通り庭,虫籠窓,格子戸,坪庭など美しい京町家の意匠が詰まっている。
阪本商店
Sakamoto-shoten
古川町商店街の中央部に位置し,ガラス張りの明るさと格子などの和の雰囲気を活かした店構えとなっている。虫籠窓も残る歴史のある建物。
島田食料品店
Shimada-shokuryohinten
三条通りに面する古川町商店街の北入口に位置し,木造で暖かい雰囲気を醸し出している店舗は商店街の三条通り側の顔となっている。
順正清水店 五龍閣
Junseikiyomizuten goryokaku
松風嘉定の邸宅として大正年間に建築され,設計は日本の近代建築に大きな影響を残した武田五一である。洋館でありながらも随所に和風の面影が残る貴重な建物となっている。
長楽館
Chorakukan
明治42年(1909)に,日本の煙草王・村井吉兵衛がヨーロッパの様々な建築様式を組み込んだ迎賓館として建築。往時の香りが残る雰囲気の中,現在はカフェ&レストラン。
そば茶寮澤正
Sobasaryou-sawasho
そば茶寮澤正は,かつて貿易商の岩坪熊次郎が昭和2年(1927)に建てた広大な住宅の応接部分にあたる。座敷天井板は,伊勢神宮の撤下古材を下賜されたもと伝っており,施工には最高の技術を持った職人がついたと言われている。
総本家ゆどうふ奥丹清水
Sohonke-yudouhu-okutankiyomizu
創業寛永12年(1635)の精進料理店である。座敷客間から見える庭は,小川が流れ,桜や紅葉など四季を感じることができ,600坪という広さもあって通りからは想像できないような空間が広がっている。
丹嘉
Tanka
京の町にあって親しみを感じる店構え。ガラス越しに見えるお人形は愛らしく,屋根には鍾馗さんならぬ,えびす様や福禄寿,金太郎さんが並ぶ。
鐘鋳町2軒長屋
(市川屋珈琲,八重家かねい町)
Kaneicho-2kennagaya
(Ichikawayakohi,Yaekekaneicho)
口伝によると築200年あまりともいわれる木造つし2階建ての2軒長屋。多くの町家が残る町並みの角地に立地する本建物は,周辺地域の景観形成に寄与している。近年,当時の風情を活かしながら新たに改修,再生された。
天得院
Tentokuin Temple
正平年間創建の東福寺の塔頭。方広寺鐘銘事件により取り壊され,天明9年(1789)に再建された。本堂は,江戸中期に移築したものである。桃山時代の作庭とされる杉苔に覆われた庭は,桔梗の花が美しい。
二軒茶屋 中村楼
Nikenchaya Nakamuraro
八坂神社の門前茶屋として発祥以来,450余年,明治の初期まで「中村屋」として向かいの「藤屋」と共に祇園の二軒茶屋と呼ばれ親しまれてきた。
西邨家
Nishimurake
伝統的な京都の町家の外観を有する。民藝運動の作品として重要な河井寛次郎設計による座敷,洋風応接室等内装が個性的な意匠を有する。
曼陀羅園 新家
Mandaraen-atarashike
曼陀羅園と呼ばれる住宅地の奥に位置する新家は,主屋に床の間,格天井をもつ18帖の広間があり,その奥には,ウィリアム・モリスの壁紙が使用されるなど洋風文化を巧みに取り入れた洋間が残されている。
曼陀羅園 長屋
Mandaraen-nagaya
曼陀羅園と呼ばれる住宅地には,下地窓など数寄屋的な意匠を備えた上質な長屋が建ち並ぶ。大きな窓から採光をふんだんに取り入れた間取りは,昭和初期に注目された,「健康住宅」を意識されたと思われる。
曼陀羅園 丹羽家
Mandaraen-niwake
曼陀羅園と呼ばれる住宅地は,昭和初期に丹羽氏などの有志者によって開発された,当時の住宅開発の好例である。その入口に位置する丹羽家は,隣接する長屋群と連担し,当地の景観の要になっている。
望月
Mochizuki
昭和初期にお茶屋として建てられたものが平成10年に復元された。建物と庭が一体となって景観をなし,内と外を仕切る垣根の板塀は,洗練された統一感を醸し出しており町並に融合している。
八木家(洛東静処)
Yagike(Rakutouseisyo)
白川沿いの広大な敷地に営んだ別邸を原形とし,現在は居住棟と土蔵,庭園の一部が残る。居住棟は,大正天皇即位御大典でも大きな役割を担うなど当時を偲ぶ数寄屋風建築として後世に伝えていくべき住宅である。
山科区 岩屋神社
Iwaya-jinjya Shrine
発祥は仁徳天皇三十一年と伝わる。本社の根源は,山腹に座す陰陽の両巨巌である。社殿は治承年間に焼失。弘長2年に再建され今に至る。
岩屋寺
Iwayaji Temple
昔は山科神社の神宮寺であったと伝えられている。嘉永年間(1848〜1854年)に堅譲尼が再興。赤穂義士大石内蔵助の屋敷跡が境内にある。
大石神社
Oishi-jinja Shrine
昭和10年(1935)に大石内蔵助の義挙を顕彰するため大石内蔵助公を御祭神として創建された。12月14日に行われる「義士祭」の最終目的地となっている。
奥田家
Okudake
山科本願寺,寺内町御本寺跡の西北隅土塁遺構を主庭園に取り込んだ萱葺き屋根の京都近郊の郷士階級の住宅。建物の主部は元禄15年(1702)に建築。
奥田家
Okudake
石垣の上に板塀,白壁が印象的な住宅で,蔵と塀越しに見える庭の木々も鮮やかである。古き良き部分を残しながら改修が施され周囲の景観とも調和しながら,この地域の町並を豊かにしている。
京都大学大学院 理学研究科
付属 花山天文台
Kwasan Observatory,Graduate School of Science,Kyoto University
昭和4年(1929)の創立以来,世界の天文学研究をリードしてきた。山科盆地から北西を望むと,東山に銀色のドームが2つ並び,多くの市民から親しまれている。
徳林庵 地蔵堂
Tokurinan jizoudo Temple
旧東海道に面して建ち,唐破風屋根の拝所が付く六角堂が行きかう人の目に留まる。茶所や荷馬の井戸が残り,往来の人々の休憩の場として賑わった当時の様子を今に伝えている。
八幡宮
Hachimangu Shrine
本殿は元禄8年(1695)建築。桁行3間,梁行2間で切妻造,檜皮葺の屋根をのせる。市内に数少ない切妻造本殿として貴重である。
平野家
Hiranoke
昭和35年(1960)に建築。材木は樹齢100年程の桧を使用し,全ての柱,板にはベンガラ塗装がし,当時の典型的な田舎の農家住宅。
室賀家
Murogake
昭和13年(1938)に竣工の建物は,伝統的な町家と近代洋風建築を融合させており,当時の時代を反映している。希少で貴重な建築事例。
森家
Morike
明治39年(1906)に単身で米国に渡り,ランプシェードに絵画を描くことで成功した美術商・森哲二郎が建てた住宅である。壁が非常に特徴的で,インテリアは同人の独自のセンスが各所に見られる建物である。
下京区 遠藤家
Endoke
明治36年(1903)建築の厨子2階建京町家。本2階建が普及する過渡期であった明治後期の一典型をなす。上質で保存状態の良い貴重な町家。
亀屋陸奥
Kameyamutu
応永28年(1421)創業の和菓子の老舗店である。漆喰壁で木瓜形やハート形などの虫籠窓があり,堀川通沿いで,近代的な建物が立ち並ぶ中,西本願寺とともに本願寺界隈の景観を形成している。
関西電力株式会社 京都支社
Kansaidenryoku kabushikikaisha-kyotosisha
昭和13年(1938)に武田五一により設計された鉄骨鉄筋コンクリート造8階建のオフィスビル。様々なモダンデザインを取り入れていた同氏の意匠に対する意識が感じ取れる建物である。
ギャラリーのざわ(山田家)
Gallery-nozawa(Yamadake)
黒色のタイル貼りの外壁を持つ大正15年(1926)建築の町家。座敷のほかおくどさんや火袋が残されており,落語会やミニコンサートなど,市民の方が幅広く町家の文化を体感できる空間として親しまれている。
きんせ旅館
Kinse ryokan
江戸末期の建築で元揚屋と伝わる建物。出格子,下見板の腰壁,2階の掃き出し窓が張り出す意匠を備えており,当時の地域の歴史を今に伝えている。
京都タワー
Kyoto Tower
京都の玄関口である京都駅前に立地する展望塔。京都に戻ってくると,暖かく迎えてくれるその姿にホッとする人は少なくないはずである。
祇園床
Giondoko
町会所。祇園祭で「一里塚神饌式」が行われる長刀鉾の巡行休憩所だったが,巡行コースが変わった現在も,稚児・禿が礼拝する「抹茶拝喫」が行われる。
小林家
Kobayashike
出格子のついた高塀造り。2階建切妻の蔵が目立つ。奥庭には水琴窟があり,市中とは思えない静かな空間となっている。材料・職人技術が高く洗練された京町家。
しきさいビル
Shikisaibiru
昭和6年(1931)建築の鉄骨鉄筋コンクリート陸屋根3階建て。外観は洋風で白壁でありながら庇は瓦という現在の景観条例を先取りした粋な建物。
杉本家住宅と杉本氏庭園
Sugimotokejyutaku,sugimotoshiteien
各1間半の床と棚を装置した座敷,独立棟として西に張り出した仏間などを有する。要素・空間構成などが評価される庭園とともに,京都の中心部における大店の建築遺構として,今日まで続いている仕事や生活を思い起こさせる。
田家
Takadake
昭和4年(1929)に建築された木造2階建て切妻造,桟瓦葺の京町家。木製引違戸の横桟や丸窓の組木に赤漆が施されており,建築主のこだわりも随所にうかがえる。
山家
Takayamake
昭和初期に建築された都市近郊の農家型住宅。外壁は真壁漆喰塗り,1階腰壁の下見板張り,2階の格子や虫籠窓を持った外観は良好な通り景観を形成している。
田中家
Tanakake
明治後期の建築で,客間の天井は天然屋久杉の一枚板,床は松心材の一枚板,柱は栂の四方柾・北山杉など,本願寺再建時の端材が用いられたとされる。
ちもと
Chimoto
300年の歴史を刻む,間口の広い木造3階建ての数寄屋造の料理屋で,京都ゆかりの文化人や歌舞伎役者等に愛されてきた。鴨川の畔にあり,夕闇に沈んでいく東山を眺めながらの座敷での宴では,京都ならではの贅沢な時間が過ごせる。
辻商店
Tsuji-shoten
アーチ状の窓,ロンバルド帯を巡らせた切妻を備えた外観とは対照的に,町家の平面構成を持ち,昭和3年(1928)建築当時の新しい技術やトレンドを取り入れつつ伝統的な住まいと商いの場との統合を試みた稀有な建物である。
友田家
Tomodake
明治45年(1912)の建築の町家である。米屋を営まれてきた建物から住宅へ時代ごとに役割を変えながら代々大切に使用されている。最近,虫籠窓が復原されるなどファサードの改修が行われ,大宮通りの景観に寄与している。
中村家
Nakamurake
本2階の比較的大規模な町家である。聚楽土で押さえられた外壁,ベンガラが塗られた木部,虫籠窓,平格子などの多彩な意匠は,間口が広い商家造りの特徴を持っている。
林家
Hayashile
主屋は元治の大火で焼失後,明治初年に建てられたものと伝わる。通りに面して出格子と門を開く高塀が延び,主屋は少し後方に置かれて,その間に前庭と玄関への通路があり,更に奥には座敷庭を挟んで土蔵が配されている。
明王院 不動寺
Myooin Fudoji Temple
平安京造営前に開基された。弘法大師作の石仏不動明王が本尊である。桓武天皇が王城鎮護のため京都の東西南北に設置した磐座の一つである南岩倉である。
龍谷大学大宮キャンパス
Ryukoku University
Omiya Campus
龍谷大学大宮キャンパスには,京都の歴史とともに歩んできた建物が残されており,現在も校舎や図書館などとして活用している。
南区 石原家
Ishiharake
煙出し,虫籠窓を持つ明治期の建築と思われる農家型住宅。周辺地域の往時の景観を残す建物となっている。塀と門越しに見える庭は,木も大きくよく手入れをされている。
伊藤家
Itoke
昭和初期に葉茶屋の商家として建てられた町家である。看板建築に改変されていた外観を,当時の趣ある佇まいに修復された。内部は,格天井や筬欄間がある本玄関など格調高い造りが随所に見られる。
大橋家
Ohashike
明治20年(1887)頃の建築と言われる重厚な主屋と門を持つ農家住宅である。古来から豪雨時に冠水し易い地であったことから,敷地北側に向け,地上げが施されている。
吉祥院天満宮
Kisshoin-temmangu Shrine
菅原道真公没後31年目にあたる承平4年(934)に創建された最初の天満宮。境内には吉祥天女社や道真公のへその緒を埋めた塚もある。
鈴木組
Suzukigumi
昭和初期の木造2階建て洋風建築。外壁に石・タイルを多用し,内部は漆喰塗りで,天井・壁とも模様をかたどった趣のある仕上げとなっている。
田中家
Tanakake
通りに面して,薬医門と塀を構えた,明治初期の建築の農家住宅である。大戸を開けると広い玄関土間,玄関の間には衝立ての調度品が季節に合わせて設えられ,訪れた者を迎える。
田中家
Tanakake
明治初期の農家住宅で,現在は,畑が駐車場になっているが,通りに面して畑を持ち,奥に建物を構えるという,この村の屋敷の特徴を残した配置となっている。主屋には,「ねずみいらず」と呼ばれる穀物を保管した納屋が残っている。
田中家門
Tanakake-Mon
武者窓が施され,腰板は船底の板が使用されたと云われている長屋門である。塀は,当時から3分の1の長さとなったが,今でもその偉容を伺わせている。
中塚家門
Nakatsukakemon
重厚な長屋門,白壁の美しい土蔵とその間の塀がこの一角を美しく彩っている。本宅は,新しく建て直されたものの,門,塀,土蔵や緑豊かな庭は,かつてここにあった風景を思わせる。
長谷川家
Hasegawake
京町家の影響を受けた切妻・瓦葺きの木造2階建て農家住宅。「寛保2年(1742)築造」の祈祷札がある。明治期作成の図面を基に修復された。
長谷川家
Hasegawake
南北の古道に面した農家型住宅で,広い前庭や主屋には煙出しがあり,屋根瓦の総数は約1万枚と大規模なもの。内部はおくどさんや箱階段が建築当時のまま残されている。
林家
Hayashike
大家根に煙出しを備えた佇まいが古さを物語っている。虫籠窓の丈が低いのが一層の古さを感じさせ,改修された部分はあるものの,昔の趣きが残されている。
日の出湯
Hinodeyu Public Bath
昭和3年(1928)に建築。京都の銭湯の典型的な姿を完全な形で残しており,現存している京都の戦前築の木造銭湯の中で最大規模。
別府湯
Beppuyu Public Bath
戦前築の建物。現在はトタンで覆われているが唐破風を持ち,2階に欄干があるなど京都の戦前銭湯の典型的な建築様式。
山下家
Yamashitake
塀に囲まれ美しい庭を持つ農家住宅。塀越しに見える虫籠窓を備えた主屋や土蔵は,地域のかつての景観を伝える貴重な建物となっている。
右京区 愛宕神社
Atago-jinjya Shrine
全国に約900社を数える大宝年間創建の愛宕神社の本社。江戸期の建築と伝わる本殿などの建築物の欄間には,菊や鳳凰など見事な彫刻が施され,この社の価値を高める要素となっている。
今西家校倉
Imanishike-azekura
京北でも雪の多い地域に建っている穀物倉庫と思われる。校倉は近年利用されなくなっているが,次代には,昔の知恵として伝えておくことが大事である。
井上家
Inoueke
築400年と伝わり,自然豊かな北嵯峨の地に,白壁の築地塀で囲まれた茅葺きの民家。かつて20数歩町の田畑を有した豪農の風格を変わりなく維持している。
卯瀧家
Ukitake
自然な美しさに魅せられる茅葺き屋根を,母屋と納屋の2棟で維持されている。集落の高台にあって,絵画的な風景を醸し出している。
ウッドラフ家
Woodrafuke
夏涼しく,冬暖かく,湿気もとってくれるたたきで土間が作られており,おくどさんともマッチしている。自然素材で作られたものは人にも環境にも優しい。
小倉山居
Ogurasankyo
平屋造りで,主座敷を中心に茶室を伴い,洋風応接室を付設した伝統的和風築に現代的な洋風建築を取り入れた新趣な思想で建築。
河原林家
Kawarabayashike
築後500〜600年。京北山国地域の民家で北山型と言われる。千木が九つ屋根の天辺に載る大屋根である。囲炉裏やおくどさんは現役で利用されている。
木下家
Kinoshitake
1600年代後半の建築と思われる茅葺屋根の建物である。室内には「ちょんながけ」とみられる柱が残る。紅殻を使った腰戸や戸などが美しい。
小山家
Koyamake
江戸時代から続く薪炭商を営まれていた建物である。不運にも安政期に火災により土蔵以外が焼失したが安政3年(1856)に再建。当時の薪炭倉庫や車折神社の近くから曳家した離れとともに薪炭商当時の状況が伺える炭俵や帳面などの品々が残されている。
椹木家
Sawaragike
椹木家の本家。明治の建築。梁や大黒柱が太く,部屋の空間がダイナミック。ベンガラ塗りの格子が印象深い。茶室,庭,蔵など雰囲気がある。
椹木家
Sawaragike
椹木家の分家。昭和元年(1926)以前には建つ。大きな梁が特徴的。部屋から広がる庭の眺めは自然と一体となった暮らしを感じさせる。
庄野家
Shonoke
入母屋造平入の茅葺(茅葺の上にトタン葺)の農家住宅。時代とともに改修が施されているものの,往時の景観を伝える建物である。また,欄間彫刻が意匠を凝らしており素晴らしい。
月輪寺
Tukinowadera-Temple
愛宕山の東方深い山中に位置している天応元年開創と伝わる山岳寺院。標高570mに位置し,眼下に京都市街を一望できる境内には,本堂,祖師堂,権現堂,宝物殿等が配されている。
天使の里 霞中庵
Tenshinosato Kachuan
近代日本画家の第一人者,竹内栖鳳(1864〜1942)が自らの画室とするために設計監修し,美しい庭と贅をこらした見事な数寄屋造り「霞中庵」を完成させた。
中川家
Nakagawake
座敷と納戸の間の建具が珍しい。土蔵の入口には「こて絵」がある。今も現役で使用している井戸は大切にされている。
中川家
Nakagawake
街道筋に瀟洒な長屋門を構える。門を入ると大きな石組が置かれた庭園と玄関が目に入る。母屋の縁からは,清滝川と西明寺が浮かび,都名所図会等に描かれた景色を見るようである。
初田家
Hatsutake
おくどさんが立派で,冠のある透かし彫りは「猪の目」と呼ばれ目を見張る。
林家
Hayashike
床,天井,軸組みに目の通った太い良材を使用する重厚で風格ある作りとなっている。たたきの土間,七つ竈,屋敷構えの土蔵等保存状態も良好。
平野屋
Hiranoya
古くより愛宕神社の門前町として賑わい,街道沿いに茶店等が建ち並ぶ嵯峨鳥居本の町並みの中にあって,400年の歴史があり中核をなす茶屋である。外観,内部とも江戸時代にタイムリスリップしたような野趣あふれる茶屋の面影を残している。
藤野家
Fujinoke
明治維新の際,維新勤皇隊山国隊を取りまとめた,藤野斎の生家。神社神職として仕えてきた旧家。立派な長屋門が残る。
西京区 岩崎家
Iwasakike
瓦塀を巡らせた規模の大きな農家住宅である。屋敷構えの全体が道路から一目で見渡せることから散策する人の目を強く惹きつける建物である。
太田家
Otake
約170年前に建てられた典型的な庄屋式屋敷である。木造一階の母屋を中心に,表門脇の客殿や七福神の鬼瓦を置いた米蔵・衣装蔵,屋敷外の小川から取水する池泉鑑賞式の庭園など,都市近郊の農村の典型である景観を後世に伝える。
かぐや姫竹御殿
Kaguyahime-Takegoten
昭和初期,竹職人の名工長野清助が「竹取物語」へ思いを深め,27年の歳月をかけて造った竹尽くしの建築物である。内装には,竹をモザイクタイルのように散りばめた仕上げをはじめ様々な技法による意匠が残る。
カトリック桂教会
Catholic-katsura-kyokai church
木工家具デザイナーのジョージ・ナカシマの設計で昭和40年(1965)に完成した。緩やかに曲線を描きながら反り上がる屋根と,それに対峙する十字架が力強く美しい。内部空間は行灯等の日本的要素に加え,アメリカ経由の日本と言うべき雰囲気を持つ。
郷倉
Gokura
平安京遷都後,樫原近郊の十二郷に年貢米等が収蔵される郷倉が建立されたのが起源。樫原は山陰街道きっての物資集積地であり,明治になり郷倉が村に下賜されると,米等の集積場として活用された。他の郷倉はなくなり,現存する貴重なものである。
斉藤家
Saitoke
軒の深い下屋は袖壁があるのみで,柱が無く作業性の良い広い空間を確保している。また,厨子二階の左官は淡い空色で,虫籠窓の格子は左右異なるデザインになっており,縁取りされた青い色が魅力的である。
浄住寺
Jojuji-Temple
元禄10年(1697)創建の本堂とその後方に位牌堂,開山堂,寿塔が並ぶ。一連の建物は,京都市内には数少ない黄檗宗を代表するもので,特に開山堂と寿塔は黄檗宗寺院の特色をよく残している。
玉村家
Tamamurake
奥には6帖の上段の間があり,欄間・床・違棚のある書院造りの建物で,山陰街道樫原宿場町の陣屋であった豪華なたたずまいが感じられる。街道の両側に虫籠窓を持つ町家が続く町並みの中心となる,住民にとって誇りに思う建物である。
中村家
Nakamurake
桂大橋を街道沿いに西へ向かうと,新しい家が並ぶ路地の向うに白く輝く漆喰壁の土蔵が見える。裏の通りからは煙出し,虫籠窓といった伝統的な意匠が認められ,手入れされた庭や座敷の様子から,生活の表情を感じることができる。
中村軒
Nakamuraken
創業明治16年(1883)の老舗饅頭屋である。約30年前に住居部分を茶店にする等,時代の変化に準じて建物に手を加えられているが,むくりのついた大屋根に煙出し,虫籠窓等が残っており,店先の雰囲気から当時の往来客の様子を想像させられる。。
永谷家
Nagatanike
集落に向かう道すがら現れる茅葺きの屋根。庭先から広がる畑と相まって,かつての農村の姿を今に伝えている。
東川島自主防災部器具庫
Higashikawashimajishubosaibukiguko
本願寺西山別院の境内に建つ妻入り桟瓦葺きの平屋の木造建築物で,地域の防災意識の歴史を感じさせる建物である。向かい合って建つ数軒の古い木造の民家と一体となって町並みを形成している。
山口家(苔香居)
Yamaguchike(taikokyo)
京都西山の自然や四季と調和しながら佇む旧家である。端正な風格のある長屋門が,東海道自然歩道を散策する人,道行く人を魅了している。
龍淵寺
Ryuenji
戦国時代の天正10年(1582)開山で,明智光秀公からいただいた土地で今も継承している。動乱の世に建立されて以来,今なお樫原の人々に「心のよりどころ」として存続しており,仏事があると檀家が先祖供養,平穏無事を感謝するため参拝される。
伏見区 新居家
Araike
花崗岩をくずれに積み一段高い敷地に,洋館2階建てと和風2階建邸宅が建つ。庭園には枯池があり,数寄屋造の離れが迫り出して建てられている。
飯田家土塀と門
Iidake-dobei,mon
飯田家は,醍醐寺の寺侍を勤めた家柄である。主屋は数年前に建て替えられたものの,江戸期のものと思われる土塀と門は現存し,醍醐寺周辺の景観を形成している。
伊東家
Itoke
伏見街道沿いの間口約8間の規模を持つ町家。厨子2階にも関わらず高さを感じさせる外観,年月を経て重みを増した木質感に圧倒される。
井上治療院
Inoue-chiryoin Clinic
昭和初期に建てられた店舗兼用住宅。外観は洋風建築で,三連のアーチが特徴的な洗練された意匠は,薬局の格式の高さを窺わせる。
浮田家
Ukitake
明治中期に建築された建屋及び納屋から構成される。建屋が面する通りは,明治元年の付け替え工事まで木津川の堤防であり,建屋背面の高基礎がそのことを示す。建屋の表と裏の表情の違いは興味深く,水運で栄えた美豆の繁栄を偲ばせる。
太田家
Otake
旧島本銀行と伝わるこの建物は,玄関に半円を描く石の階段や銅板に覆われた柱,さながら蔵のような窓枠が備わるなど当時の銀行の面影を伝えている。
岡本家
Okamotoke
元医院と伝わる建物で,壁の仕上げやハーフティンバー風の意匠は,全体的にドイツ民家風となっている。応接室や元診療室と思われる部屋が残され医院建築の面影を今に伝えている。
奥川家
Okukawake
土塀に囲まれて,土蔵や庭があり,立派な門がある豪農ともいうべき農家造りの建物。現在は,土蔵と門が残っており,道行く人の心を和ませてくれる。
尾ア家
Ozakike
大津街道沿いに建つ築90年,木造つし二階建て,切妻平入の農家住宅。田の字型の間取りと大きな梁が特徴的で,虫籠窓,煙出し屋根などが残され,当時の名残をとどめる地域の貴重な財産となっている。
荷田春満旧宅
Kadano Azumamaro-kyutaku
国学者荷田春満(かだのあずままろ)の邸宅。住居として使われていた邸宅は平屋造で,書院や門などが残っている。
カトリック伏見教会
Catholic-fushimi-kyokai Church
教会の敷地内には教会堂,司祭館,便所棟があり,教会堂と司祭館の間にある庭園は瀟洒に整備され,全体のコンパクトな構成は見る者に心の安らぎをもたらす。
木田醤油 浜納屋
Kidashoyu Hamanaya
以前は木津川に面しており,船荷の積み降ろしを行なっていた納屋。川へ荷降ろしするための石段も残る。この地域の船運で賑わっていた頃の往時を彷彿させる。
京都教育大学
まなびの森ミュージアム
【旧陸軍第十九旅団司令部】
Kyoto University of Education's
Manabinomori Museum
[Kyurikugun daijukyuryodanshireibu]
明治30年(1897)陸軍施設として建設。第19旅団司令部がおかれていた。近年,創建当時の姿に復元し,「まなびの森ミュージアム」として一般公開している。
小西家
Konishike
木造中2階建ての主屋,離れ,道具蔵,米蔵からなり,母屋は座敷の趣きのある意匠材料や,土間と中2階の見応えのある梁組など質の高い建築物。
米市本家
Komeichihonke
古くは酒造りを営んでおり,その後米穀商の店舗として使った建物。現在は営業していないが,当時の看板などもそのまま掛けてある。
しも村
Shimomura
門前の旧街道に面して建つ,昭和初期建築の手打ち蕎麦屋である。建物の2階には,建具に沿って欄干が回り,当時の様子を現在に伝える。
駿河屋伏見稲荷支店
Surugaya-fushimiinari-shiten
創業約80年の和菓子店である。昭和6年(1931)ごろの建築で,建物の外観や店の様子も建築当初から現在までほとんど変わらず,現在も薪を使って銅鍋で餡子や羊羹を炊くなど昔ながらの製法が守られている。
瑞光寺
Zuikoji Temple
境内入口にある萱葺きの山門を潜ると本堂の萱葺き屋根が目に入る。その屋根のシルエットは,この寺を再興した元政上人の衣姿を彷彿させる。
聖母女学院本館
Seibojogakuin-honkan
明治41年(1908)に旧帝国陸軍16師団本部として建築。内外部とも建築当初のままに残っており,外観や内部デザインなどは見る者を魅了する。
清和荘
Seiwaso
昭和32年(1957)創業の三代続く料亭旅館で,昭和初期の風情が継承されている数寄屋造の建物と日本庭園が融合された広い敷地を持つ。墨染通りに面する大門をくぐると庭木のお出迎え,通りの騒音から隔離された別世界が広がる。
宝湯
Takarayu Pablic Bath
昭和6年(1931)に竣工。木造モルタル造で,洋風建築という特異性を持ち,外観,脱衣場がほぼ建築時の姿を保っている貴重な建築物。
長尾天満宮
Nagao-Tenmangusha Shrine
平安時代に創建された醍醐寺の北東山麓にある神社である。社殿は,文政4年(1821)に再建されたと伝わっている。深い緑の木々に囲まれた,まっすぐに延びる参道が印象的な美しい神社である。
西之大坊 大雲寺
Nishinodaibo Daiunji Temple
天正18年(1590)深草山寶塔寺の仮本堂として建立。近年,中原正治氏により庭園を改造。茶室から見る庭園は幽玄の世界を満喫できる。
にしむら亭
Nishimuratei
伏見稲荷大社山茶屋。二階建ての寄棟造りの建物と,西側にある木造平屋がある。特に平屋からの西方向への眺望は素晴らしい。
日本聖公会 桃山基督教会
Nipponseikokai
Momoyama-christ-kyokai Church
昭和11年(1936)に建てられ,隣接する御香宮神社との調和が見事。平日は幼稚園児の歓声,日曜日には礼拝堂で聖歌の声が聞こえてくる。
長谷川家
Hasegawake
築約130年の農家住宅である。約400坪の敷地には,主屋,表蔵,たつみ蔵などが建つ。主屋の屋根が特徴的で重厚な重ね妻となっている。
平宗酒店
Hiraso-saketen
創業明治34年(1901)の酒店である。建物は大正15年(1926)の建築で,出入口の木引戸や虫籠窓が残る外観をはじめ当時のままの状態を維持しており,京都伏見の酒の蔵元が多く軒を連ねる伏見南浜界隈の景観を形成している。
前田家納屋
Maedake-naya
昔は水害が多かったため,船が家に備え付けられている。現代では失われた生活の痕跡や知恵が残っており,羽束師地域の歴史,文化的な生活や地域性を象徴している。
増田コ兵衞商店
Masudatokubeshoten
延宝3年(1675)創業で,伏見の酒造会社の中でも古い歴史があり,建物も趣がある。鳥羽の作り道に面し,かつては京から西国へ向かう公家の中宿も務めたと伝わる。酒蔵も古いたたずまいが少なくなってきている中,来る人を引き付ける魅力や雰囲気がある。
松井家
Matsuike
洋風と和風の意匠を持った2階建ての建物で,スクラッチタイル調の外壁や木製建具が当時のまま残されている。玄関入口にかかる木札には,電話番号と思われる漢数字が記されており,当時の面影を残している。
南家
Minamike
明治に建築の伝統的な礎石立ちの住宅で,玄関の構えや軒が素敵である。門をくぐると目に入る植え込みは迫力がある。居間から縁側越しに見下ろす庭も,視線の高さと木々の配置が巧みに操作されている。
南里公民館
Minamisato Public hall
昭和25年(1950),大工や左官などが多く住む職人町に建築された木造の公民館である。切妻造木造平屋建てに入母屋の玄関が突出している。町内で今でも大切に使われている。
妙教寺
Myokyoji Temple
淀古城跡地に建てられた。本堂には鳥羽・伏見の戦いの際に砲弾が貫通した跡とその実砲弾が残る。四季折々の花も植えられている。
山田家
Yamadake
醍醐寺南門の向かいにあって,土塀に薬医門を構え,主屋の玄関に入母屋の式台玄関を設ける。庭も比較的良好な状態が保たれておられ,醍醐寺の周辺に点在する,地域の歴史を感じることの出来る重要な建物の1つである。
山田家
Yamadake
主屋は,木造つし2階建て桟瓦葺きに煙り出しを突き出している明治後期頃の建築。農家らしく広い土間を持ち,部屋は2列に6室あるなど,日本に多く見られる平面形式の一つと言われている。
山本家
Yamamotoke
鳥羽伏見の戦いで焼亡した後,明治29年(1896)に再建。商売の便のため表屋に接続して店蔵を構え,蔵前から奥を母屋とする変わった設計になっている。
ランプ小屋
Rampugoya
明治13年(1880)から大正10年(1921)まで走っていた旧東海道本線のランプ小屋として使用。石油など危険物を扱う建物であったため,堅牢な煉瓦で造られている。
   

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