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京都の財産として残したい建物や庭園“京都を彩る建物や庭園”の発表について
「写真をクリックすると建物や庭園の個別紹介ページが開きます。」

北区 上京区 左京区 中京区 東山区 山科区 下京区 南区 右京区 西京区 伏見区
選定リスト(公表に同意いただいているもの)
(行政区別 五十音順)
所在地 名 称 推薦理由(抜粋)
北区 井関家
Isekike
明治に増築された3階部分は,四面が開く望楼風の建物となっている。枯山水の庭園には,おがたまの木や石灯籠があり,また,手水鉢の前には龍の口と呼ばれる排水口などが設けられ,先人の知恵が随所にみられる建物と庭園である。
一文字屋和輔
Ichimonjiyawasuke
長保2年(1000)創業の今宮神社の門前であぶり餅を売る茶店。建物は,古いもので約400年前と伝えられている。敷地の北西角に庭がある。
岩井家
Iwaike
雲ヶ畑に現存する江戸時代末期の建築で,木造入母屋造の主屋は,室内はいろりのすす跡で黒光り,大黒柱,おくどさん,太い梁,伏見人形のほていさん等,当時の雰囲気がそのまま残る。
上田家
Uedake
中川地域に2軒ある茅葺住宅の1軒で,明治よりも古い時代の建築。枝垂桜等の花々が植えられてた庭には,台杉が植えられ北山らしい風情がある。明治の大火でも焼失せず,維持管理がよくなされ,昔の面影を漂わせている。
梅辻家
Umetsujike
上賀茂に残る唯一の賀茂七家であり,主家と書院から成る。主家は上賀茂神社の鳥居を越えない切妻造りの屋根とし,書院は江戸時代に宮中から御学問所を移築したとの言い伝えがある。
かざりや
Kazariya
江戸時代創業の今宮神社の門前であぶり餅を売る茶店。建物は築後450年位といわれている。銀木犀や紅葉で彩られる庭には「水琴窟」がある。
紙屋川庭園
Kamiyagawa-teien
かつて西陣の織屋さんが日本や世界の人々の散策や交流を通じて,古代より続く日本の美の発信地にするとの思いで造り続けられたと言われる素敵な庭。
旧北山丸太会社倉庫
Kyukitayamamarutagaisha-
soko
磨き丸太の加工・乾燥・保管に用いられてきた。二階・中三階・三階を組み合わせた独特の外観。磨き丸太の天然乾燥のためのテラスが珍しい。
久保家
Kuboke
鴨川の源流の山里,雲ケ畑に建つ築100年を超える民家。周囲の山々と建物が一つの風景となっており,たなびく煙は懐かしい暮らしを思わせる。
高桐院
Kotoin Temple
慶長年間,細川忠興(三斎)が父である藤孝の菩提を弔うため創建された大徳寺の塔頭寺院。方丈や客殿,周囲を紅葉の疎林で埋める庭園等は,三斎の人となりや言い伝えが寺内各所に残されている。
紫明会館
Shimeikaikan
外観は平滑な意匠であるがスパニッシュを基調としたデザイン。建築後大きな改変は行われておらず,戦前の雰囲気をそのまま残している。

しょうざん光悦芸術村
Shozankoetsu
Geijutsumura
庭園は料亭の和風建築の横を流れる小川,樹木の茂みや苔むした斜面から造られている。台杉の庭や,紅葉の季節には両岸から覆いかぶさるように染まる紅葉が見もの。
神光院
Jinkoin
京都三大弘法のひとつである神光院は,明治の神仏分離の際に一旦廃寺となり,その後文政12年に再興されたと伝わる。境内には,本堂,中興堂などのほか,大田垣蓮月尼が晩年過ごしたとされる庵が残されている。
杉江家
Sugieke
昭和2年(1927)に建替えられている。庭園の石や灯籠は100年以上前のもの。石の中には,今では手に入らない鞍馬石等の貴重なものもある。
聖ヨゼフ修道院門の家
St.joseph shudouin-monnoie
門は煉瓦造,門番小屋は煉瓦壁と木造部が特徴的であり,中世的な意匠を持っている。全く老朽化を感じさせない堅固な建物で,周囲の歴史的な景観を醸し出している。
宗蓮寺
Sorenji Temple
北山杉や紅葉の木に囲まれた山寺。台杉の庭園がありその根元には山地に生息する野草が花を咲かせる。書院から眺める北山杉の借景には心が癒される。
吉水庵 銅閣
Yoshimizu-an Copper Pavilion
法然上人御修行の庵から真直ぐな椿の天井と南天の床柱を切取ってできた茶室が 廃仏毀釈で旅館に伝わっていたのを、地元の大工左官の尽力で移築、茅葺屋根は 取り払い、数寄屋造の三層の楼閣の中層に据えた。
中川八幡宮社
Nakagawa-hachimangusha Shrine
室町以前に創建され,大火により焼失も明治28年に再建。境内にある白杉は推定500年を数えられる。山の傾斜地に建ち,鎮守の杜として山の神々を祀ったという由緒にふさわしい趣を持っている。
中田林業倉庫
Nakataringyo-soko
戦前に建てられた。川に面しており,磨き丸太の加工場と倉庫として使われてきた。母家も同じ敷地にあり,職住近接となっている。北区役所主催の市民コンテストで第一位となった写真が清滝川とこの倉庫である。
速水 滌源居
Hayami Tekigenkyo
春は奥庭の桜,初夏はもみじの新緑とみずみずしい青苔,秋は燃えるような紅葉,冬は静寂の中の雪景色として四季折々,様々な面を露地・庭が見せてくれる。
藤本家
Fujimotoke
中川地域で最も古い民家の一つ。玄関脇には,中川地域では珍しいバッタリ床几が備えられる。周りにある苔むした路地,古い木造倉庫,石垣に埋め込まれた地蔵等と調和して美しい景観を醸し出している。
松野家
Matsunoke
約200年前に建築。40年程前の新聞に「典型的な武家屋敷」として取りあげられた。敷地内には,「茶屋四郎次郎邸跡」の石碑がある。
松野醤油本店
Matsunoshoyu-honten
創業は文化2年(1805)。醤油醸造場だけでなく,住まいも兼ねており,南面に庭を配し,天井を高くして,涼しく暮らせる工夫がされている。
椋本家
Mukumotoke
茅葺にトタンを被せた屋根の住宅で,明治期以前の築。付属の小屋は磨き丸太の加工と作業道具や薪などを保管するために使われてきた。住宅と小屋が良く調和して,北山地域の昔の生活様式や風情をよく残している。
本野精吾自邸
Motonoseigo-jitei
モダニズム建築の先駆として知られる本野精吾氏の自邸。中村鎮式コンクリートブロックを採用した本野氏作品の最初の住宅である。コンクリートブロックをむき出しにした外観や玄関,門に使用されている煉瓦が印象的である。
森勘商店倉庫
Morikanshoten-soko
昭和4年(1929)建築の2階建倉庫。1階の妻側は庇が大きく出ており磨き加工を行う作業場となっている。また,2階の天井はなく長尺の丸太を立てかけられるようにしている。風情のある景観になっている。
森久商店倉庫
Morikyushoten-soko
昭和11年(1936)建築の北山杉を磨き加工し,自然乾燥させ,販売まで保管する倉庫。周りの木造倉庫群と調和して美しい景観を作っており,磨き丸太生産の全盛時代を髣髴とさせる建物である。
山治林業倉庫
Yamajiringyo-soko
中川地域の2階建て倉庫の中で,最も棟が高く,大型の建物。内部は尺長の丸太を立てかけられるように多様な高さが確保されている。2階にはテラスが設けられ,磨き丸太の乾燥場として利用されてきた。
和幸庵
Wakoan
昭和28年(1953)以前に福徳銀行創設者が材木商から買い取った約190坪の邸宅で,能楽や茶道・華道などの伝統文化を楽しむ活動の拠点となってる。
上京区 朝日玉姫鵺大明神社
Asahitamahimenuedaimyojinjya Shrine
平安時代末期の武将源頼政が鵺という怪鳥を射落とし,その射落とされた鵺を祀った神社。主税五ヶ町が協同で管理されており,社を中心に形成されている同町のコミュニティのあり方を後世に伝え残すことも含め大切である。
今原町家
Imaharamachiya
住居兼組紐製作場として昭和4年(1929)に建築された表屋造の町家。内外に町家の特徴を残し,2階には洋館風の部屋が配されている。町家や生活文化の継承のため,住まいながら飲食店やイベントに活用されている。
岩上ホール
Iwagami-hall
昭和30年(1955)頃に建築。織工場を改装した落ち着いた木造の建物。どこか懐かしい外観が,石畳のまちなみとみごとに調和している。
上木家
Uekike
表の格子のたたずまいは,昭和初期の典型的な西陣の商家に見えるが,壁紙の裏紙に使われた新聞紙から明治期の建築とも推測される。以前は糸商として使われていた。
織成館
Orinasukan
京都を代表する町家が現存する西陣大黒町の中心的な存在。店の間,前の坪庭,住居そして倉と,昭和初期の代表的な建物。
織成宿所
Orinasushukusho
昭和初期,織屋で財をなした渡邉文七が隠居仕事として,一町内全て借家を建て,借家町が誕生。その中の一つで,会員制の宿泊施設として使われてる。
織成宿所 上七軒
Orinasushukusho Kamishichiken
日本のお茶屋発祥の地である上七軒で廃業されたバー形式のお茶屋さんを隠れ家的に使用。さすが上七軒と呼ばれるに相応しい貫禄がある。
北村美術館四君子苑
Kitamurabijyutukanshikunshien
数寄屋造の名工北村捨次郎により昭和19年(1944)に建築,進駐軍の接収後,住宅棟はモダニズム要素を含んだ近代の数寄屋として改築された。庭は多彩な石造品を配し,比叡山・如意ヶ岳を望めるなど趣向に富んだものとなっている。
慈照院
Jishoin Temple
相国寺の塔頭で,桂宮家の学問所として建築された書院(棲碧軒),千宗旦によって作られた茶室(頤神室)や樹齢300年を超える陸船松と称されるクロマツが植わる枯山水式庭園が配されている。
静 家
Seike
建物は明治初期のもの。オリジナルのステンドガラスなどが施されてる。坪庭や中庭は,昼はやわらかい光に包まれ,夜は優美で厳かな雰囲気と違った表情が見られる。
千本ゑんま堂・引接寺
Senbon enmadou・injyouji temple
ゑんま堂は,厨子虹梁絵様から17世紀に建立されたと考えられる。近年の火災で,屋根と天井を焼失するが,残された閻魔王とその脇侍をまつる厨子が他にはない迫力を見せる。境内には重要文化財の石造十重塔等の文化財がある。
大市
Daiichi
元禄年間(江戸中期)創業のすっぽん料理店。330年前の建物がそのまま残り,玄関には刀傷や槍の痕がある。帳場の結界などもあり,志賀直哉の暗夜行路など多数の小説に登場している。
大根屋
Daikonya
京都の町並みを作っている格子を始め,種々な要素を多く持っている建物。外観を残しながら,西陣の工場として内部は織機が置けるように高い空間と柱の間は広くとられている。
冨田屋 田中家
Tondaya Tanakake
6つの坪庭,2つの井戸,3つの蔵から構成された町家。表屋造りには商売をしながら暮らす知恵が感じられる。住むための行事やしきたりをこなせるように作られている。
be京都
be-kyoto
空き家から貸しギャラリー兼イベントスペースとして再生され,「美しい“美”の京都がここにある」という思いをこめ命名された。江戸期からの歴史を持つ京町家であり,隣接する寺院の山門と連続した良好な景観を形成している。
萬亀楼
Mankamero
享保7年(1722)に造り酒屋を創業。安永9年(1780)に茶店を営み料理を供するようになる。主屋は明治5年(1872)の建築。お部屋に生ける茶花は敷地内で育てている。
宮岡家
Miyaokake
外観に大幅な改変がなされていたものから,近年,復原工事が行われ,外観や火袋を復元するなど内装に関しても,京町家としての風情を取り戻した。間口5間の大きさから地域の景観に寄与している。
ミヨシ堂
Miyoshido
時計台の付いた鉄筋2階建ての洋風店舗であり,完成当時,近辺には日本家屋が建ち並ぶ中,一際目立つ存在となった。昭和初期の時計台で,建物も重厚な造りとなっている。店舗が閉した後も時計台は町の人々から愛され続け,現在も時を刻んでいる。
文殊院
Monjyuin Temple
承応3年(1654)に伊勢暦の暦師だった浅井長政の末裔が,京都に移建した真言宗醍醐派の寺院。蔀戸が連なる本堂や庫裏は築150年以上と推定される。風格のある門構えや松の緑の外観,地域の集まりにも使われる庫裏が,地元の人々に親しまれている。
有斐斎 弘道館
Yuhisai Kodokan
江戸中後期の京都を代表する儒者,皆川淇園が創立した学問所「弘道館」の址地とされる敷地に建てられた数寄屋建築。庭は南北にあり,茶庭として使われている。
湯本家
Yumotoke
明治期の建築と推定される平家建ての木造建物である。歴史学者湯本文彦が終の住家としたことから,同人に関する研究資料等が多く残されている。
若山家
Wakayamake
間口が広く表蔵があり,虫籠窓,柱横には格式ある家のみ付けるものとの言い伝えがある「笄(こうがい)」が取り付けてある。氏神の祭禮には家を開放して町内の祭道具の飾り場所となるなど風格が感じられる。
左京区 青山家
Aoyamake
京都大学名誉教授である青山秀夫とその教え子達の思い出の建物と庭。庭の池には川から水が流れ込み,建物と共に風流で歴史的な面持ちがある。
井ノ口畳店
Inokuchi-tatamiten
創業明治3年(1870)の畳店である。昭和2年の建物で虫籠窓が残る間口の大きい町家である。通りからはイグサの香りとともに畳作りの作業が間近に見え,風格のある看板も相まって歴史を感じさせ,風情を醸し出している。
永楽庵
Eirakuan
大正天皇の皇后が発注された茶室正副二棟のうち,副棟が彦根の西田邸に払い下げられ,昭和25年頃にこの地に移されたものと伝わる。庭は茶室や離れ等の移築を指揮した当主の父の設計で,建築群と一体で高野川河畔の景観を形成している。
大野家
Ohnoke
本二階建て,瓦葺きで,高塀を持つ大正末期から昭和初期の建物である。京都パラダイス遊園地の跡地であるこの界隈は,同時代に建てられた建物が多く残り,通りの景観は往時の様子を留めている。
大野家
Ohnoke
明治期に建てられた木造洋館建ての表屋を持つ建物で,奥には和館が建つ。著名な画家のアトリエとして活用されていたという伝承もあり,岡崎エリアの近代化の歴史を伝える重要な景観要素の一つである。
大八木家
Oyagike
大正の末期に建てられ約90年の歴史がある。庭園と茶室は当時のままで,茶室から見る庭園の枝垂れ桜は一幅の絵のようである。
川端彌之助のアトリエ
Kawabata Yanosuke's
Atelier
洋画家である川端彌之助(1893〜1981)のアトリエとして大正14年(1925)に建築。愛用のイーゼルや書籍がそのまま残され,当時の様子を今に伝えている。
杜若家
Kakitsubatake
約280年の歴史を刻む茅葺の民家。建物南側の庭には,第55代文徳天皇の第一皇子,惟喬親王のお手植えと伝えられている杜若が咲いている。
城守家
Kiromorike
昭和14年(1939)に城守保養所新館として建てられた。精神病患者が滞在した部屋は床の間付の座敷で,庭にも自由に出られた。岩倉には家族の付き添いなしに預かった歴史があり,「地域において精神障害者を看護する」ことにヒントを与えてくれる。
鞍馬駅
Kuramaeki
開業当時からの建物で,重層な入母屋形式の和風屋根が背景の山並みに溶け込む風景は,清々しく感じる。また,白壁も印象的で待合室には古典的な趣のある照明があるなど,木造の温もりが感じられる。
ケーブル八瀬駅
Cable-Yaseeki
洛北の開発と比叡山への登山を目的として,大正14年(1925)に開業した。かつて,西塔橋駅と呼ばれていたこの駅舎には,鉄骨トラス造や妻飾りなど開業当初の意匠が残っており貴重である。
駒井家
Komaike
昭和2年(1927)に建てられた,米国人建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の住宅。建物はスパニッシュ様式で,赤茶色の瓦屋根とスタッコ壁が用いられ,アーチ型の窓,テラス,パーゴラが外観に彩りを添えている。
十一屋 岡村家
Juichiya Okamurake
十一屋は近年まで鯰料理の専門店として営業。建物は新田街道(今は,鯖街道と命名)に面しており,旧街道のランドマーク的な存在。
聖護院
Shogoin Temple
寛治4年(1090)白河上皇の勅により創建。天明の大火の際,光格天皇の仮御所となった。狩野派の障壁画,重要文化財の書院,庭の砂紋など目を引きつける。
聖護院八ツ橋総本店 本店
Shogoin Yatsuhashi Sohonten Honten
元禄2年(1689)にこの地で創業した。近世筝曲の開祖といわれる八橋検校が葬られた黒谷金戒光明寺の参道に茶店を設け,検校の遺徳を偲び,琴の形を象った干菓子を「八ッ橋」と名付け販売したのが始まりと言われている。明治には多くの文豪が訪れた。
真澄寺別院 流響院
Shinchoji Temple
Betsuin ryukyoin
大正2年(1913)に竣工。数寄屋建築と露地や表庭,芝庭などの複数の要素が組み込まれた自然感ある庭園は,近代別荘庭園の特徴を良く表している。
竹中家
Takenakake
「水車の竹中」と呼ばれ,地域のランドマーク的存在の精麦工場であった。母屋と工場の一部と石組の水路が残る。前の小路とともに白川の景観をつくる。
太平治家
Taheijike
「太平治」を屋号とする石工の歴史を持つ建物。天保元年(1830)の地震後に再建されたと考えられる主屋奥には,江戸末期や明治初期の大火を免れたと伝わる二つの蔵がある。
玉川家
Tamagawake
蔵には5月に行われる八瀬祭の衣装を収める。祭の役を引き受けるためには,道具だけでなく神棚などの空間が必要で,大事に引き継いでいる。主屋は明治6年(1873)に亡くなった当時の主人が建てたと伝わる。水田越しに見える白壁は見事である。
南禅寺 順正
Nanzenji Jynsei
天保10年(1839)に蘭学医として著名な新宮涼庭によって開設された医学校のあった地である。敷地中央の書院や石門は,往事そのままに残る貴重な建物で,庭園も昔の様相をよく留めている。
八布京都 斉藤家
Habukyoto Saitoke
2階建ての町家で,10年程前に改修され,店舗となっている。通りから窓越しに窺える店内には,オリジナルデザインの洋服や古布の小物等が置かれている。法然院の周辺の落ち着いた雰囲気の中で,両隣の町家と一体となって町並みを形作っている。
平井常榮堂
Hrai Joeido
元禄14年(1701)に創業し,代々医師と薬の処方を兼業されていて,明治に入って和漢薬専門店となった。通りに面して間口が広く,虫籠窓のある歴史を感じさせる佇まいで,引き戸を開けると,薬草の香りが鼻をくすぐる。
平岡家
Hiraokake
昭和9年(1934)の建築で,モダンな外観を持つ建物内部は,庭の見える座敷や洋間の応接室を備えるなど,和洋折衷の造りとなっている。台所には,当時からの備え付けの食器棚やカウンターキッチンが残る。
瓢 亭
Hyotei
400年余り前,小さな腰掛茶屋として開業し,天保8年(1837)から料理屋に。建物はくずやと呼ばれる茅葺き屋根の座敷で,庭園は植熊作。
本家西尾八ツ橋別邸
Honkenishioyatsuhashi-
bettei
創業は元禄2年(1689)。家屋は築約100年。数寄屋建築の座敷・茶室がそのまま残っている。庭は四季折々の顔を見せてくれる。
妙伝寺
Myodenji Templei
江戸時代初期,覚法妙伝和尚の開創によるものとされている。如意輪観音菩薩が安置された八瀬童子の菩提寺である。毎月執り行う念仏講では後醍醐天皇,近衛基熙,秋元喬知の他,歴代の八瀬恩人を供養している。
八瀬かまぶろ
Yasekamaburo
申の乱で大海人皇子が背中に矢を受け,かまぶろで傷を癒した伝説が八瀬の地名の由来と言われる。かまぶろは外側が土壁,内側が石組で,保温性に優れた造り。江戸時代の16基が,1基のみ現存。見た目にも愛嬌があり,人々からも親しまれている。
八瀬天満宮社
Yasetemmangusha
周囲を巨木に囲まれた八瀬天満宮社は,菅原道真の死後,師である法性房尊意僧正の勧請により建立されたと伝わる。赦免地踊りでは,女装した男性が切子燈籠を頭に載せ,境内の秋元神社に向かう行列が見られる。
八瀬童子会宝庫
Yasedojikai Hoko
八瀬童子は,皇族・公家等ともつながりが深く,明治以降は政府から天皇大礼・大喪の駕輿丁に任じられた。綸旨や京都所司代の下知状等の八瀬童子会が所蔵する資料は,一部は重要文化財に指定されており,保管していた本倉庫は八瀬の宝と言える。
八瀬比叡山口駅
Yasehieizanguchieki
古風な印象を見せる駅舎は,開業時から形を変えず約90年間にわたり利用者を見送ってきた。ホームを覆う木造屋根が魅力的であり,波型の軒飾りはホームのアクセントとなっている。
八千代
Yachiyo
南禅寺参道に面した純和風旅館。100年以上経った草庵茶室に依った建物は,簡素枯淡な趣を持つ。敷地の3分の1を占める庭園は,植冶(小川治兵衛)の作庭で四季折々の風情が楽しめ,静寂な時へと誘う。
山ばな平八茶屋
Yamabanaheihachijaya
約200年以上経つ母屋は商家造りで,庭は昭和初期の造り。陰陽を配置した庭は,四季折々の花がその庭を満たし,季節を存分に感じることが出来る。
湯川秀樹旧宅
Yukawa Hideki-kyutaku
晩年までこよなく庭を愛でた湯川秀樹(1907〜1981年)が,昭和24年(1949)に日本人初のノーベル物理学賞を受賞し,最期まで過ごした場所。
吉田山荘
Yoshidasanso
昭和7年(1932)東伏見宮家別邸として建造。重厚感あふれる総桧造りと裏菊紋の格調が織なす和と洋が融合した料理旅館。京都の四季を感じられる庭園を眺めることができる。
吉村家(松雲荘)
Yoshimurake(Shouunso)
眺望を活かした続き和室と洋風に仕上げられた家族室・食堂がある木造2階建ての住宅である。伝統建築を継承しつつ生活の洋風化を試み,住宅改良運動の傾向と郊外に住宅地が形成され始めた昭和初期の傾向も読み取ることが出来る建物である。
洛 翠
Rakusui
明治末期に7代目小川治兵衛が作庭。庭園内には琵琶湖を模した池があり,周囲には280年前に中国から伝来したとされる画仙堂や茶室「渓猿亭」がある。
霊鑑寺
Reikanji Temple
書院,本堂の南面に広がる池泉鑑賞式の庭園は,東山連峰の大文字山より西に延びる稜線を利用して造られている。椿の季節には,散椿,日光,紅八重侘助など銘種約30種の花が庭園をうずめている。
中京区 青木家
Aokike
暖炉やステンドグラスのある洋館が通りに面する,和洋折衷の町家である。高塀を巡らせた外観は新旧が調和する界隈の街なみ整備の模範となっている。
雨森敬太郎薬房
Amemorikeitarou-yakubo
江戸時代から続く伝承薬「無二膏」の老舗店である。風格ある庵看板を備え,黒壁に虫籠窓を持った意匠は,京都の薬種業としての歴史を伝えるとともに,地域の景観を形成している。
姉小路高倉の2軒長屋
Aneyakoujitakakura-2kennagaya
木造総二階の2軒長屋。出格子,尾垂れが特徴的で,共にかかる簾も含め,往時の景観を伝えている。1戸は飲食店として使用されており,誰でも町家を感じられる建物となっている。
市古家
Ichikoke
正面に掲げる「山泉」の看板は,ソニー創立者の生家である盛田合資会社の商標で,隣の「まるほ」醤油の看板と同じく,昭和12年(1936)製で初代店主の独立時に贈られたものである。近年の改修で側面を焼杉板貼りとし,落ち着いた雰囲気造りに工夫された。
井山家
Iyamake
元は生糸問屋をされていた現在の建物は,元治元年(1864)の京焼後に即復興されたもので,一部改修されているが,駒寄・出格子等は原形を留めている。蔵から見出だされた町式目は,平成版「姉小路界隈町式目」としてまちづくりの基本理念となっている。
岩ア家
Iwasakike
明治初期建築の伝統的な木造住宅。厨子2階建てで,出格子,虫籠窓が意匠を彩り,加敷造の軒裏からも歴史を感じる。庭は「花の庭」で四季折々の花が楽しめる。
岩野家
Iwanoke
牛乳販売をされていた時の大型冷蔵庫とブルーの3枚のシャッターが残っていたが,1階に店舗用と居住用の2つの格子戸,2階窓にも面格子,壁の仕上げを変えることで,居住者の安心,景観,経済性を向上させ,壊さずに引き継がれた。
植田家
Uedake
オリジナルにより近い形に修復された。出格子,漆喰の色,引き戸等に昔からの京町家のしつらえが残っている。室外機を覆う格子には,ナグリ加工が施された材が使われ,品の良い表情となっている。生業である生そばの老舗と共用している庭も美しい。
上村家
Uemurake
上村松園(1875〜1949年)が大正3年(1914)に建築。上村松篁(1902〜2001年)も制作活動をした日本画家の住宅。大正期らしい様相を残す,時代を代表する住宅建築。
大江能楽堂
Oe-nogakudo
切妻屋根の舞台を中心に,見所は2階建ての別棟とし,舞台を矩折に取り巻いている。明治後期に創建された能楽堂の希少な建築遺構である。
岡野家
Okanoke
外観や茶室をリニューアルされたが,玄関の敷石や井戸といった古きよきものは生かし続けていて,家へのこだわりを感じさせる。外観では虫籠窓とクーラー室外機の格子カバーが美しく映える。両側の建物とも調和している。
岡墨光堂
Okabokkodo
生業である日本画の表装技術を生かし,絵画や書跡等の文化財修理をされている。大正12年(1923)に建替えられた建物で,経年の外観の傷みを近年修復された。木造の建物の風合いを生かしながら,歴史ある商売を続けている。
かざりや鐐
Kazariya-Ryo
金属工芸の老舗「竹影堂」から生まれた錺細工の店である。この町家には,若手職人が作り出す,美しい銀細工の品々がミセノマに並べられ,その奥では加工作業が行われている。
釜座町 町家
Kamanzacho Choie
中規模で典型的な京町家である。町内会の持ち物として,会合や地蔵盆に使用されてきた。国内外の支援団体と連携して改修し,再生された。
亀末廣
Kamesuehiro
文化元年(1804)創業の老舗の菓子屋。建物は,創業当初からの外観を残す総2階桟瓦葺の主屋と築100年以上の穀物用の蔵が姉小路側に建ち,その界隈の形成に重要な建物となっている。
がんこ高瀬川 二条苑
Gankotakasegawa Nijoen
高瀬川の源流で,角倉了以,山縣有朋とゆかりがある,七代目小川治兵衛作の庭園。森鴎外の小説「高瀬舟」の舞台にもなっている。
菊岡家
Kikuokake
運送業を生業とした先祖が江戸初期に作った漆喰の石室には,家屋が消失した蛤御門の戦いの時にも,貴重品を入れたそうである。現主屋は明治20年頃に建てられた。第二次世界大戦での延焼防止のため改修した袖壁,うだつ等が現存する。
旧石川家(和久傳堺町店)
Kyuisikawake(Wakuden-sakaimachiten)
木造平入総2階の間口が広い町家。腰壁に金属性のパイプ格子を備えた昭和初期の町家の特徴を備え,2階の虫籠窓や軒から簾がかかる外観は,姉小路界隈の景観の重要な要素となっている。
旧光仙洞(ババグーリ京都)
Kyu-Kousendo(Babaghuri-kyoto)
明治期の町家を飲食店として活用することで残すことを理念に,平成7年(1995)に改修された。改修にあたっては,民芸的な意匠とならないよう工夫され,内部は,町家の構造や特徴を活かした造りとなっている。
旧本田商店(魏飯夷堂)
Kyuhondashoten(Gihanebisudo)
明治20年(1887)頃の建築で,元は醤油醸造を営む店であったが,数年前に中華料理店として再生された。内部も当時の町家の面影が残されている。
久保田家
Kubotake
漆喰を塗り直し,戸袋や室外機格子カバーを設置等の改修を行われた。角地に建つ間口の広い建物なので,寺町通りから姉小路通りに入った折に,当家が見えてくると,建築協定を結び,改修も進めてきた姉小路の町並みの始まりが感じられる。
熊谷道具處
Kumagai-Dogusho
明治期に建てられた虫籠窓と達筆な看板を持つ店舗型の町家である。店内は,創業当時と同様,茶道具類や古美術品が多数並べられ,地域の景観を形成している。
小林家
Kobayashike
昭和4年(1929)築の町家である。元々八百屋を営まれていたミセノマの部分を貸し店舗用のスペースへと改修。町家の佇まいを残し,ミセノマは賃貸部分とする町家再生の好例の一つとなっている。
彩雲堂
Saiundo
全国的にも有名な歴史のある日本画の画材店で,鉄斎の看板が何よりの宝物である。店舗入口にある4枚の建具には施主の思いが強く,近年の改修では,腰板部分を補強・化粧を施し残された。銅製の樋も経年すれば生業にふさわしい味わいが期待される。
佐々木家
Sasakike
昭和初期型と思われる外観で,表屋造り風の建物である。通りから見ると2階建だが,内部は3階建てで,階高が高く,1階,2階それぞれに本床のある座敷があり,当時の生活を偲ぶことができる建物である。
里村家
Satomurake
建物の側面に大工が長年保管していた上物の焼杉板を使用している。隣接がガレージであり,奥行が深いため目立っている。ファサードは地味ではあるが上品な色調と仕上げに工夫がみられる。境界ブロックも漆喰風の美しさが表現されている。
砂川家
Sunagawake
先代から茶道具,書画・骨董品を商ってこられたためか,家の造りにお茶の精神が表れているように見える。飾窓が改修の際も移設して残される。その中に置かれるお茶花が,道行く人をさりげなくもてなし,先代からの精神を今に伝えている。
炭屋
Sumiya
大正初期に建てられ,茶道や謡曲を嗜む人たちのサロンとして始まった旅館。数寄屋建築の建物は当時のまま残る。客室の天井の網代,襖の引き手,聚楽の壁など今も大切に残され使われている。
染殿院
Somedonoin Temple
「安産祈願のお地蔵さん」として名高い寺院である。建物は,どんどん焼けの際,仮堂として建てられたものと云われている。喧騒な通りから一歩境内に入ると厳かで静かな雰囲気を味わうことができる。
谷口家
Taniguchike
砂糖卸商を生業としていた仕舞屋の名残として,往時をしのぶ7枚の表戸が特徴的である。夏季は格子枠だけのすこぶる風通しのいい表戸に入れ替える。平成18年に景観に配慮した改修を行った。地蔵盆と姉小路行灯会では沢山の方々が集まる。
玉の湯
Tamanoyu Public Bath
明治期に建てられた,市民に広く愛される歴史ある銭湯である。正面玄関のタイル張りの部分の奥には当時からの町家の部分が残っている。
俵屋
Tawaraya
宝永年間(1704〜1711年)に太物問屋として創業。次第に宿を本業とするようになり,江戸末期には,様々な京都の地誌に「寄宿」として記載される。蛤御門の変(1864年)で全焼したが,明治初年には旧館が完成する。
鳥居家
Toriike
化粧柱を採用してアクセントを強調している。玄関扉をアルミ戸から木製格子に交換したことで,開口幅を拡げて利便性を高め,同時に景観性も向上させた。更に銅製の樋を採用したことで高級感を高め,趣のある京町家に仕上がっている。
日昇別荘
Nisshobesso
一の宮城主杉浦三郎兵衛が秀吉の命で居住。昭和24年(1949)に日昇別荘として開業。茶室は,昭和初期のもので,大工の手間が入って美しい。
西村家
Nishimurake
9年前に大正期の町家を現在の住環境に適した町家として改修された。外観は,古材を活用するなど町家の雰囲気を残しつつ,内部は,耐震,バリアフリー,断熱対策を講じたものとなっている。
速水家
Hayamizuke
大正2年(1913年)の建築。現存する設計図等からも,当時の様子を窺うことができる。祇園祭の頃に襖を御簾や葦戸に替え,網代を敷き,夏のしつらえにすると,坪庭から奥へと風が通り,奥座敷から打ち水した庭を見ると涼やかで,心の安らぎが感じられる。
柊家
Hiiragiya
文政元年(1818)創業の旅館。麩屋町側の外観は駒寄せと樹齢80年余りのムベ,御池通り側は黒塀からなり道行く人の目を楽しませている。
百芳軒
Hyakuhoken
明治初期に蚕糸問屋として建てられた典型的な京町家スタイルを残している。マンション開発が進む立地にある中,京町家の意匠を後世に残すだけでなく,地域コミュニティ活性化の拠点として開放されている。
福井畳店
Hukui-tatamiten
創業100年以上の老舗の畳店。木造2階建て平入りの建物で,表通りに面した1階の土間が作業場となっており,店主の手作り作業が見られ,高倉通りの風情となっている。
藤井家
Fujiike
昭和8年(1933)建築の京町家。その造りは,干し場,検品場所等といった絞り悉皆業としての仕事が効率良く出来るような配置になっている。
先斗町歌舞練場
Pontocho-kaburenjo
昭和2年(1927)3月に竣工。花街先斗町で中心的な役割を果たし,鴨川をどり・水明会が開催され,現在もなお三条大橋袂の景色をなしている。
前田家
Maedake
明治29年(1896)に建築。おくどさん・走り庭・鍾馗さん・虫籠窓・布袋さん・三和土土間・箱階段・井戸・吹き抜け空間等を残している。庭は枯山水様式。
松尾家
Matsuoke
築90年程経っている建物に,近年室外機に虫籠窓のピッチや形状を考慮した格子枠をつけ,景観的に配慮された。京呉服の販売を生業にされ,室内の赤色の配色により,店頭には品のある色気が感じられる。
三原家
Miharake
間口が大きく,格子の前にお地蔵さんがある町家である。大正時代に改装されたと思われる2階の洋間や,トオリニワの吹き抜けにある欄間などに特徴があり,通り景観としても,これからもずっと京都に残してほしい建物である。
壬生狂言ゆかりの庭(尼ヶ池)
Mibukyogen-yukarinoniwa(Amagaike)
壬生狂言を代表する演目である「桶取」の発祥の地。尼ヶ池の歴史は古く,平安時代の朱雀院の一部であると言われている。春の壬生狂言の際には,故事通りに池の水を汲んで壬生寺の本尊に供えられている。
村上開新堂
Murakami-kaishindo
明治40年(1907)創業の洋菓子店である。看板の文字,カーブのついたショーウィンドウなどレトロな佇まいが歴史を感じさせる。店内には木枠のショーケース,タイル貼りの床などが当時のまま残されている。
森口家
Moriguchike
改築前の看板建築を,京町家らしい木の暖かみのある建物に復元し,耐震への備えも同時に行われた。デザイン上のアクセントになっている防火壁は,延焼防止の役割を果たすだけでなく,町並みを形成している景観要素の1つとなっている。
森田家
Moritake
白い土壁が特徴的で,天井の煤竹も風情がある。竹内栖鳳が銅駝校で絵画を勉強していた頃に,下宿していたと伝わる。通りに面する坪庭に,家の前を行き来する人たちを招き入れて,お茶のおもてなしをされている。
八百三
Yaosan
宝暦年間創業の柚味噌の老舗。総2階桟瓦葺で,格子,腰板を備えた外観は,当家から作り出される伝統の味とともに商家としての形が残されている。
吉川
Yoshikawa
数寄屋造りの純和風建築と小堀遠州の作庭と伝えられる百坪あまりの庭園を有する料理旅館。建物は大正7年建築で4部屋の茶室を有する。今では手に入らない材木が各所に使われている。
吉澤家
Yoshizawake
近年の改修で,全体のバランスを考慮して従来よりも扉格子のピッチを細かくし繊細さを表現すると同時に,樋や水切りにも銅を多用して上質感を高めている。真新しく輝く銅の美しさも時間とともに緑青へと変化して味わいを深めてくれる。
リエノ京都本店(旧ムラナカ理容院)
Rieno-kyotohonten(kyumuranaka-riyoin)
昭和3年(1928)建築の木造3階建ての元理髪店。煉瓦タイルの外壁,アーチ型の窓や細かな装飾などを備えた洋風意匠となっている。内部の構成など町家との共通点も多い建物である。

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